「野望」に憑かれた男たちの物語 -- 伊東 潤「王になろうとした男」(文春文庫)

2017年10月26日木曜日

伊東潤

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 「英雄」というものは遠目から見ている分には、燭光のように輝いて、あたり照らしているように見えるのだが、近くにいればいるほど、その熱量の強さに耐えきれなくなるものであるような気がしていて、その強さは英雄度の高さに比例していると思っている。

そして、その英雄度の強さという点では、日本史上、「織田信長」に匹敵する人物はいない気がしている。


本書の収録は


「果報者の槍」

「毒を食らわば」

「復讐鬼」

「小才子(こざいし)」

「王になろうとした男」


の五編で、いずれも織田信長の近辺にいて、彼が起こす激風に嘲弄された男たち五人の掌編である。


まず「果報者の槍」と「毒を食らわば」は対の物語として読むべきで、最初は今川義元の首をあげた実直者の毛利新助、二番目が織田家屈指の策略家の塙直政で、幼なじみではあるが、その性向の違いからひどく異なる道を歩んでしまった二人の物語である。

ただ、母衣衆から信忠の馬廻衆となり本能寺の変で信忠とともに戦死した毛利新助と大和と南山城を預かる大出世を遂げるも、本願寺攻めで自らと一族・宿老が討ち死にし一族が改易され、歴史の隅に追いやられた塙直政の双方とも


光秀が、いかなる理由から主君を討つのかはわからないが、そこに野心という魔物が介在していることだけは間違いない。

織田家に巣食った野心は膨張し、遂に刃を飼い主である信長に向けたのだ


といった「織田家の野心」に翻弄されたことは間違いない。


「復讐鬼」は、織田信長に反旗を翻しながら、長く生きた「荒木村重」の物語。復讐の相手は、臣下であった「中川清秀」なのであるが、この復讐に至る原因も、織田信長の煽った「出頭(出世)」争い。清秀に信長に離反するように罠にかけられ、あげくは家族を凄惨な方で処刑された村重は、賤ヶ岳の戦で、逆に罠を仕掛けて、中川清秀を戦死させるのだが、その際の


野心にとらわれた者は、しょせん野心に滅ぼされるのです。上様もそうでありましたな



村重は気づいていた。武士という稼業を続ける限り、一つ野心を成し遂げても、次から次へと新たな野心が頭をもたげる。ついには野心の囚われ人となり、その生涯が終わるまで、野心に追われ続けるということを。

そこに思い至った時、村重は、残る生涯を一介の茶人として送る決心がついた


という述懐は、村重自らに向けられたものであるとともに、サラリーマン生活が長くなった当方にも重く響く言葉ではある。


「小才子」は、そんな「野心」に嘲弄され続けた、「津田信澄」。彼が信長の甥で、信長の弟である信行の嫡男(これは、本書で初めて知りました。汗顔の至りであります。)であることを考えると親子二代で、信長の野望に嘲弄されたことになる。

もっとも、本書では明智光秀の謀反に信澄が一役買っているので、少しは亡父の恨みを晴らしたというところか。さらには、本能寺に信長がわずかな手勢で入ったのも、彼の野望の実現のために邪魔になった盟友を殺害する誘い水だったという設定なのだから、信長も自業自得というところであるな。


「王になろうとした男」は、おそらく本編以外で主役を張ったことはないであろう、信長の黒人の小姓「弥介」が主人公。彼がアフリカから奴隷船に乗せられ、宣教師によって信長に献上され、本能寺の変の一連の二条御新造の戦いで捕虜になり宣教師によって命を奪われるまでの話。彼は信長から、信長の世界征服の果てに、アフリカの母国の「王」とすることを約束されるのだが、「王になりたかった」が果たせなかったのは、弥助も信長も、同じであったのあると思い至る。


最後の対談は、結構読み応えのある一品。信長の世界戦略は


秀吉のように大陸を面、つかり土地で支配するのではなく、信長は、点すなわち拠点で押さえようとしたのではないでしょうか。・・・港に城塞都市を築き、海上交易を行って利益を独占しようとしたのではないか


といった大胆な歴史推理がぽろりぽろりと披瀝されるので読んでおいて損はない。


筆者の著作は、武田家などの敗者の立場からの歴史小説をレビューしてきたが、こうした戦国時代を動かす意識潮流であった「野心」の面からみた歴史小説もまた視点がかわって面白いもんですな

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日本の人口最少県の住人。なりわいは行政書士。読書好き、ガジェット好きの昭和人です。

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